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1月17日三光神社から真田丸城跡、そして空堀商店街へ

2014.02.02.23:14

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JR玉造駅10時に集合、好天気のもと、大坂の陣ゆかりの地の探訪が始まった。
先ずは駅近くにある三光神社である。
三光神社は宰相山公園(真田山)に鎮座し、天照大神・月読尊(つきよみのみこと)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀っているが、日本全国で唯一の中風除けの神として広く知られている。

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この地に大坂城の出城があったことから、社殿の下には「真田の抜け穴」と呼ばれる地下道があり、本城まで繋がっていたと伝えられている。
抜け穴の入り口横には陣中指揮姿の「真田幸村」の銅像が立っているが、その台座の石は信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石(名付けて真田石)が置かれている。

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次に真田丸跡地に向かった。
大坂城は西に瀬戸内海、北に天満川、淀川、東に大和側の支流があって防御し易く、南のみが陸続きであったため、唯一の弱点であった。
その防御のために造られたのが出城、真田丸であり、空堀であった。
何れも自然の地形を巧みに利用して作ったとされているが、ビル群の中にあっては中々分り難いものの、先生の説明を聞き、その地に立って周囲を眺めてみると、よく理解出来た。
真田丸の中心地は「明星高校の敷地内」にあるとされているため見学は出来なかったが、道路を挟んで立つ「心眼寺」も大阪冬の陣の大坂城出丸城郭跡であり、真田幸村、大助父子の供養のために真田家の祖先滋野氏が江戸時代に建てた寺として有名であり、又、その門前には六文銭を刻んだ「真田幸村出丸城跡」の碑があった。
高地であり、眺望も利くため出城として相応しい場所であることが実感出来た。

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次に空堀を埋めた跡地として今に残る「空堀商店街」に向かった。
空堀も真田丸同様、自然の地形を利用したものであるとの説明であったが、実感としては分かり難かった。
ただ、近くの公園に立ち周囲を見渡しながら先生の説明を聞いていると、何となくそんな気がしてきたのが、正直なところかもしれない。
空堀商店街のアーケードにぶら下がった垂れ幕には「空堀周辺は大阪市内の最高位、ちなみに大丸心斎橋店5階に相当します。」とあった。
商店街の中であり、坂道のみが見えるだけで、実感が伴わなかったが、往時には素晴らしい眺めがあったのであろう。
やはり、戦の防御施設としては優れたものであったのだと思われた。

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大坂城に大阪冬と夏の陣、多くの事柄が喧伝され、又、物語が創作されてきた。
その名前にはロマン漂う響きがあるが、現存するのは昭和の時代の大阪城のみ、これといった著名なものは他には無い。
しかし、名残すら留めない市内であっても、視点を変えてみれば色々な発見がある楽しさを知った、楽しい探訪であったと思う。
私たちの入ったレストランの地階部分に大坂城の石垣と思しき壁面があった。
本物では無く、石垣の石を運び造ったものらしい。
思わず手に触れたが、大阪市民の心情が分かるような気がした。

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プロフィール

わかものたち

Author:わかものたち
私達(高大)「.大阪の歴史遺産探訪科」で学んでいます。学んだ事や、どうすれば成果が上がるか?毎日をどう楽しく過ごしているかをブログの中でコミュニケーションをとりながら、すすめていきます。

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