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11月8日 精神文化の歴史遺産探訪 阿倍野界隈

2013.11.14.21:18

先週の座学では「精神文化の歴史遺産」の題で、我が国古代史上の外来思想について学んだ。
中国からの神仙思想や陰陽道などである。
当日の見学はこれに因んだものであり、10時半、四天王寺前に集合した。
6月21日の”つるのはし跡から”で始まった校外学習は、あいにくの雨で、四天王寺で途中終了したが、この日は晴れ、絶好の探訪日和となった。
日本三大鳥居のひとつの石鳥居が寺に立っているのが不思議だが、これは神仏混合の名残である。
またここは、西の海に沈む夕陽を排して極楽往生を念じる、いわゆる日想感の聖地で
あった。
熊野権現礼拝石のある四天王寺南大門を出て、竹本義太夫の墓のある超願寺前を通り過ぎ、庚申堂に至る。

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当堂は庚申信仰の発祥の地といわれ、室町から江戸にかけて信仰が盛んとなった。
年6、7回の庚申の時は、寝ている間に人の体内に棲む三シという虫が天帝に罪を報告するというので、集まって寝ないで見張るようにしたという。

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南北に通じる庚申通りから谷町筋に出て、和気清麻呂が河堀口から茶臼山の南の河底池に達する洪水対策用の溝を掘ったあとの窪みを実感し、天王寺の交差点から南下して、熊野街道に沿い安倍晴明神社へ向かった。
熊野街道に往時の面影が無いのは無論の事として、日本最高層のビル、ハルカスを傍らに見る歴史の深さを感じた。

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神社は陰陽師安倍晴明誕生の地といわれ、産湯の井戸や信太山で出会った父の安倍保名(やすな)と母の葛乃葉姫(白狐)の像などがあった。
この話は人形浄瑠璃や歌舞伎の「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」になっている。
付近には安倍氏が住んでいたとされ、すぐ横に熊野詣での九十九王子で唯一府内に残る阿部王子神社がある。

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安倍晴明神社から少し北に戻り、松虫交差点から西に向かうと、松虫塚がある。
名前の由来については幾多の伝承があって確定していないようだが、後鳥羽上皇に仕えた白拍子、松虫鈴虫姉妹が当地に隠れ住んだとして知られている他、謡曲「松虫」にも謡われている。
又、丸山という地名は町域に丸山古墳という古墳があったことに由来する。
このあたり一帯に昔は多くの古墳があったようだが、開発の波で大方は無くなっている。
少し西へ下って聖天山公園で昼食をとる。

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公園内には聖天山古墳(6世紀後半の円墳)があるが、多くの部分が削平され、周りが石垣で覆われ頂上には楠の大木が生えている。
標識などは無く、これを古墳と知ることは難しい。
元は大きな古墳だったらしいが、昭和26年に土を採って小さくするうちに石室が発見され、埴輪、土器、直刀、馬具等の副葬品が出土したものの、現在は行方不明になっているという。

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聖天山公園内にある正圓寺は、939年に僧、光道の創建で、”天下茶屋の聖天さん”で親しまれている。
聖天とは大聖歓喜天のことであり、本尊は日本最大といわれる木彫りの「大聖歓喜双身天王」である。
大聖歓喜天の門標の台石は、かつてこの近くに隠棲した兼好法師が使用した藁打ち石との伝えがあり、その碑がある。
堺の豪商で茶人でもあった武野紹鴎もここにいたらしい。
西側の門には鳥居が立っている。

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正圓寺の前を通り、午後は西へ出て阪堺線を越え、天下茶屋公園で安倍寺の塔心礎を見た。
径61cmの柱穴があいている。
最近、阿倍野区松崎町で遺跡が発見されたが、寺は元は相当の伽藍であったらしい。
塔心礎は有為転変を経てこの地に来たものである。
ここで解散し、一部は堺の方違神社へ、一部は住吉大社を訪れた。

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方違神社には先生が同行し、三国ヶ丘の地名の由来と合わせて説明を受けた。
方違神社のある「三国ヶ丘」の地名は、摂・河・泉「三国の境」が由来で、神社は三国の境界点に位置するところから、方位を超えた聖地とされ、陰陽道で、悪い方角を避けて移動する、方違(かたたがえ)信仰の神をまつる神社ということで賑わっているようである。

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隣接する反正天皇陵から堺市役所に向かった。
目的は21階展望ロビー、地上約80m、仁徳天皇陵を見るには最適で、市街地を眼下に六甲山、関西国際空港から生駒・金剛山、北は大阪城など360度のパノラマ展望が楽しめる所である。
ただ、この日は遠くは霞み、よくは見えなかったが、俯瞰する景色は圧巻であり、あらためて仁徳天皇陵の偉大さを知ることが出来た。

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この景色に感動し、しばし歓談の後、散会した。
前田先生、遅くまでの案内、ありがとうございました。












   


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10月18日 史跡探訪 尼崎まち歩き

2013.11.11.13:30

10月18日、10時半、阪神尼崎駅に集合し、尼崎市立文化財収蔵庫、尼信会館、寺町、寺江亭跡を訪ねました。
今にも降り出しそうな空模様でしたが、なんとか雨には会わずに全行程を消化することが出来ました。
先ず、南東方向にある文化財収蔵庫に向かいました。
途中、尼崎城の城壁を模した白壁のある図書館を通り過ぎ、江戸時代前期の国学者で、万葉集の全注釈書「万葉代匠記」等で著名な「契沖の碑」を見て、旧城内中学校を使用している文化財収蔵庫に着きました。
ここは、尼崎城の本丸のあった場所と推定されるところだそうです。
収蔵庫正門の正面には三の丸公園と名付けられた公園もありました。

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ここでは収蔵庫で研究に携わっておられる室谷学芸員から、尼崎に由来する縄文期から近世に至るまでの文化財の説明を詳しく受けました。
始めに通された部屋が、昭和39年を舞台にした映画「ALWAYS 3丁目の夕日’64」のロケに使われた音楽室だということでした。
展示品は尼崎の地域独自のものばかりですが、日本の歴史を知るうえでの貴重な資料も多くありました。
特に2003年に東園田遺跡から発見された519個の「イイダコつぼ」の中からヘラで描かれたとみられるシカの絵入りのものが一つ見つかり、2009年3月の新聞発表で大変話題になりました。
その他、田能遺跡、水堂遺跡、園田大塚山遺跡、猪名寺廃寺、大物遺跡などは、あらためて訪ねる機会を持てれば良いなと感じました。
又、尼崎城を中心とした城下町のジオラマを見ていると、その規模の大きさとを驚くと共に、当時の尼崎城の重要性がよく分かりました。
収蔵庫の空き部屋や音楽室を昼食場所に提供していただき、落ち着いて食事ができました。

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午後1時、尼信会館や寺町を目指し、収蔵庫近くの「旧尼崎警察署」で開催されている「銭湯王国展」に興味を持ちつつ、阪神電車の南側を西の方へ移動しました。
途中、尼崎市役所開明庁舎の外壁の機銃掃射の弾痕跡を見ました。
戦争の悲惨な名残ですが、私には特に保存処置を施している様には見えず、このままでは風化してしまうのでは、と少し気掛かりな思いもしました。

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尼信会館では、先ず、「物語絵と美人画ー尼崎コレクションの近世絵画展」を収蔵庫の
伏屋学芸員の洒脱な説明を受けながら鑑賞しました。
尼崎に関わりがあった、江戸時代前期の狩野派の女流画家である清原雪信の物語絵と美人画は、精緻な筆づかいと彩色が見所でした。
併せて展示されていた月岡雪鼎の上方の浮世絵は、江戸風とは違った表情豊かな美人図でした。
常設展示は、尼崎藩に伝わる絵図、武具などと、幕末から明治の貨幣と紙幣でした。
江戸時代の尼崎が大坂の西の守りだったことや尼崎城の様子の理解が進みました。
幕末以来の貨幣や紙幣では懐かしさから話に花が咲いていました。

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尼信会館からすぐ北に位置する寺町に行きました。
天候が怪しくなってきて、寺江亭跡へ急ぐため、寺町では入り口部分の法華宗大本山で本能寺と比肩される本興寺と、戦国武将で豊臣秀吉によって切腹を命じられた佐々成政の墓碑がある法園寺を訪ねて尼崎駅に戻りました。

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時間があれば、剣尾山を遥拝する灯炉堂に由来する古刹である月峰山大覚寺と、本堂と多宝塔が重要文化財である長園寺は改めて訪ねたい寺だと思いました。
尼崎から阪神電車で杭瀬まで行き、そこから木村化工機、塩野義製薬の工場沿いを北に向かい、寺江亭跡の碑を見ました。
寺江亭は平安時代の末、平氏政権の有力者の五条大納言藤原邦綱が築いた別邸で、寺江山荘とも呼ばれていました。
厳島行幸の高倉上皇や福原遷都の安徳天皇他多くの貴人が訪れ、川から直接邸内へ船に乗ったまま入ることが出来る寝殿造りの建物であったと当時の記録に記されています。
今でこそ神崎川(左門殿川)は築堤で囲われて何の風情もありませんが、往時は河原に葦原が広がる風光明媚なところだったと思わせるところです。
ほど近いところで堤防の上に上がると、曇り空にもかかわらず、遥かに剣尾山を望めました。
なるほど長洲の浜から真北にある海からの目印だと確認できました。

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これで全行程を無事に終えて解散し、三々五々に杭瀬方面に帰って行きました。
尼崎は大阪市のすぐ隣の市ながら、馴染みの薄い町だったようで、あらためて旧跡の多い、由緒のある町であることを知り、この近代的なビルが立ち並ぶ町を見直した、という感想を多くの方が持たれたのではないかと思います。
それと、前田先生の丁寧な説明に感謝します。
また、先生の健脚ぶりには驚きです。

10月11日 スポーツ交流大会

2013.11.11.13:03

第3回スポーツ交流大会が、大阪府立体育会館(ボディメーカーコロシアム)で開催されました。
53ある専攻科目の講座に区民カレッジと交友会が加わり、55チーム、総勢2603人という大勢が集まる催しでした。
実際の参加者の推定はできませんでしたが、3階のスタンドが八分程度は埋まっていたと思います。
競技は、専攻科目の講座対抗の種目が5種と自由参加種目5種、それと体力測定に加えて、昼の休憩時間に河内音頭がありました。
専攻科目の講座対抗には、バッコー(布袋投げ)=2班、シャッフルボード(盤枠入れ)=4班、ディスゲッター9(円盤での的落とし)=5班、どっとボール(玉入れ)=3班、
室内ペタンク(ゴム玉寄せ)=1班で出場しましたが、シャッフルボード以外は初戦で敗退しました。
種目の内容やルールをよく分かっていなかったことと、試合に臨む意気込みの違いが
あったかなあ、と感じました。
4班のシャッフルボードは、5試合を勝ち抜いて決勝に臨み、7-8の僅差で惜敗、準優勝でした。
賞金は5,000円でクラスに寄付されました。
決勝戦は午後の遅い時間となったため、帰宅者が多く応援は寂しかったのですが、残った人で盛り上がりました。
昼休みの河内音頭は200人以上もの大きな輪で盛り上がり、フォークダンスの時間にも食い込んでしまいました。
4班の多田さんが大活躍でした。

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自由参加種目は4人で組んで自由に参加できましたので、午後の時間に楽しまれた方が多くおられたと思います。
種目は、公式輪投げ、ガラッキー(ピン囲み)、ラダーゲッター(椅子に紐かけ)、釣りっこ、マグダーツ(磁石矢の的当て)でした。
どの種目も賑わっていました。
体力測定は、握力、垂直跳び、短座体前屈、チェア・スタンダップ、座位ステッピングの
5種類で、60歳から5年刻みでの男女別の平均値が示されていました。
垂直跳びは一番危険で、転倒や尻餅が見かけられました。
因みに、私は左の握力が平均に届きませんでした。
大会への参加は自由というつもりの方が大方で、ましてや勝手気ままな高齢者を2000人も集めて行う事業は運営が大変だなあというのが正直な感想です。
お世話されたスタッフの皆さんのご苦労に感謝いたします。
  





  





プロフィール

わかものたち

Author:わかものたち
私達(高大)「.大阪の歴史遺産探訪科」で学んでいます。学んだ事や、どうすれば成果が上がるか?毎日をどう楽しく過ごしているかをブログの中でコミュニケーションをとりながら、すすめていきます。

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