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7月5日 校外学習 池上曽根遺跡・百舌鳥古墳巡りと土塔見学

2013.08.27.11:43

池上曽根遺跡
6月21日に雨天のため途中中止となった池上曽根遺跡の見学は、またもや雨模様の
天候が続く中にあって、なんとなく嫌な予感もあったが、梅雨の中休みか晴天に恵まれて信太山駅をスタートすることが出来た。

*1信太山駅前1

池上曽根遺跡は国道26号線沿いにあり、その建設過程の発掘調査で発見されたものである。

*2国道1  *3池上曽根遺跡入口1  *4全容1

弥生時代中期の環濠集落遺跡で全国有数の大集落であったことが明らかになっている。
この地で人々が生活し始めたのは、紀元前3世紀ごろで最盛期は紀元前2~前1世紀である。

*5先生の説明1  *7説明プレート1

この遺跡は二重の濠で囲まれた環濠集落で、集落の中から土器や石や木で作られた
さまざまな生活用具が多数発見されている。
二重環濠の一部や高床式大型建物(建築様式:掘立柱建物)、やよいの大井戸などが
復元されている。

*6二重環濠1  *9-1くりぬき井戸説明版1  *9くりぬき井戸1  *14建物と井戸1

*14-1建物他1  *13建物と井戸と人1  *12建物内部1  *11建物組み方1

*10建物内部と人1

高床式大型建物は東西17m、南北7m、面積約135㎡の最大級の独立棟持柱(むねもちはしら)の建物で、神殿とする意見もある。
内部に入るとその大きさに圧倒されるとともに、どのようにして組み立てられたのか先人の知恵に驚く他はない。

次に隣接する大阪府立弥生博物館を見学し周辺の日陰で昼食をとった。

*15弥生博物館1  *16-121博物館内部展示  *16-122博物館内部展示  *16-124博物館内部展示1

*16-125博物館内部展示   *16-128博物館内部展示   *16卑弥呼の館1

百舌鳥古墳群巡り
百舌鳥古墳群は4世紀末から5世紀後半にかけて100基を超える古墳が築造され44基が現存している。
今回は「いたすけ古墳と善右ヱ門山古墳、御廟山古墳」を見学した。
いたすけ古墳では古墳に伸びる壊れた橋が保存運動の記念碑的存在であることを知った。
陪塚は数基あったとされるが、善右ヱ門山古墳のみが現存している。

*17いたすけ古墳1  *18-131いたすけ古墳1  *18善右ヱ門山古墳1  *19善右ヱ門山古墳説明プレート1

*20御廟山古墳1

昼下がりの猛暑の中を水分補給しながらの3km散策だったが、市街地の開発で多くの古墳が破壊され、失われたことを改めて知り、残念な思いも残った散策であった。

土塔
この土塔は堺出身の奈良時代の僧、行基が建立した大野寺の仏塔で、もともと大野寺の境内にあった。
(現在の寺は江戸時代に土塔の横に再興された。)
仏教の布教だけでなく「人民救済」も目指したものである。
大野寺は平安時代末期に書かれた「行基年譜」によると、神亀4年(727年、行基60才の時」に建てられ始めたとされている。
一辺53.1m、高さ8.6mの十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていた。
土塔から多量に出土した文字瓦があるが、文字瓦のほとんど(96%)が人名で、残り4%は、年紀、寺名、文章、瓦の製作に関わる数字である。
この事業に、行基を慕う多くの民衆の協力があったことが多量に出土した文字瓦の人名に見ることが出来る。

*21土塔全容1  *22-1土塔1  *22-2-139土塔斜め1  *22-2史跡土塔説明プレート1

*22文字瓦説明プレート1  *25大野寺1  *26土塔ミヌチュア1

3時45分現地解散、猛暑の中の歴史遺産探訪大変ご苦労さまでした。
















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わかものたち

Author:わかものたち
私達(高大)「.大阪の歴史遺産探訪科」で学んでいます。学んだ事や、どうすれば成果が上がるか?毎日をどう楽しく過ごしているかをブログの中でコミュニケーションをとりながら、すすめていきます。

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